社団法人 東邦大学医学部東邦会
会長 舳松 洋

 

同窓会設立80周年を新たな出発点として

 明けましておめでとうございます。  会員の皆さまには健やかに平成23年の元旦をお迎えになったことと、心よりお慶び申し上げます。昨年は昭和5年3月帝国女子医専の第1回生134名が卒業、同年10月同窓会である「鶴風会」が設立されてから80年になりました。母校の東邦大学は昭和の初期の創世期の帝国女子医専から戦中、戦後の混乱期さらに復興期を経て、旧制の東邦医大から新制の東邦大学となり85年、一方同窓会も女子医専時代の鶴風会時代から医学部同窓会との並立時代を経て東邦会へと80年、この間8000余名の卒業生が多方面から母校の復興、近代化、発展に寄与して来ました。昨年7月17日この記念すべき同窓会設立80周年を祝う会をグランドプリンスホテル高輪で全国の私立医科大学同窓会長、東邦大学理事長を始め関係者、母校の全学同窓会関係者のご臨席を戴き、東邦会の全国支部長ならびに会員のみなさま、準会員の在学生も交え多数のご出席のもと盛大に催されました。ここで再度同窓会設立80周年の歴史を振り返り、母校が戦後の混乱、復興期から学園紛争など貴重な経験を経て近代化して行く過程で誕生した、現東邦大学寄附行為により、評議員会に卒業生が半数近く参加が認められ、その中から東邦大学理事が選出され、更にその中から卒業生理事長が選出されました。同時に医学部長、病院長など管理運営の場にも選ばれ、卒業生が母校の運営、発展に重大な責務を負うことになったこと、また多数の優秀な卒業生教授が誕生したことも念頭に学内外の卒業生が愛校心を新たにして、母校に物心両面から限りない支援と努力をして行かなくては将来の東邦大学の発展は望めません。  昨年9月の政権交代による政情、経済不安など不確定要素が山積する中で、大学運営、病院経営が極めて厳しい時代を迎えようとしています。重ねて申し上げますが、こういう時こそ母校と卒業生が一体となり、将来をしっかりと見据え、時代に対応できる協力態勢が必要と思われます。今年は同窓会設立80周年を新たな出発点として、東邦会が新たな法人時代に向けて、定款改正、事業改革など更なる躍進と期待が望まれます。卒業生のみなさまの一層のご理解、ご協力、ご支援を戴きますようにお願いいたします。

内外情勢
 中国の凄まじい軍事力増強と恫喝に対して、ひたすら低姿勢、及び腰の日本の足元を中国に見られ、昨年9月には日本固有の領土尖閣諸島領海侵犯の上、海上保安庁の巡視船に体当たりした中国の偽装漁船船長逮捕は当然のことであるにもかかわらず、中国、台湾は領有権を主張、深夜に日本大使の呼び出しの非礼、日本人学校の襲撃、街頭デモなどの対抗処置をとりました。過去の靖国問題、教科書問題同様の反日運動で断固抗議すべきであります。にもかかわらず、中国の圧力に屈して超法規的船長の釈放は大きな禍根を残すでしょう。加えて巡視船に体当たりしたビデオ映像を、中国に気兼ねして公開を拒んだ政府に対してネット流出させた保安官の勇気を賞賛する声を多く聞きました。  尖閣諸島は1895年日本が領有宣言をして以来、1970年代まで中国および台湾も一度も領有権を主張したことは有りませんでした。友愛など中国には通用しません。日本はすべからく、尖閣諸島を実行支配に向けて、国有地とし、日本領土の標識を設置して日章旗を掲揚、漁業基地、灯台、ヘリコプター着陸地の建設、自衛隊の駐屯をすべきで、国益を損なわないように、領海侵犯に対して海上保安庁の巡視船は厳しく対応すべきです。そうでなくても、沖縄列島海域、津軽海峡を通過する中国艦隊の威示行動はやがて太平洋に航空母艦を蜉蝣させ覇権を目指すでしょう。沖縄も領有権を主張、日本はやがて内モンゴル、チベットのような中国の自治区となる可能性があります。また一方的な言いがかりと強硬姿勢で日中首脳会談を拒否しました。わが国は日本の固有の領土北方四島、竹島の不法占拠に対しても粘り強い対応を望みたいものです。  北朝鮮の金王朝の権力世襲は金 正日から金 正恩へ、中国も次期国家主席習 近平が内定、この二国の共産党一党独裁と核兵器を保有した軍事国家が脅威となります。11月末北朝鮮は韓国延坪島砲撃の暴挙に出ました。  昨年10月、ノーベル平和賞が中国の人権活動家で投獄されている劉 曉波氏に授与されました。その受賞の発表を報道したNHK、BBCTVの画面が突然暗黒となり、ノールウエー国に抗議、また各国大使にオスロの授与式に出席を控えるよう要請するなど、非平和国中国の姿をかいま見ました。
一昨年9月鳴り物入りでの政権交代でしたが、それから僅か8ヶ月沖縄普天間基地の問題で行きずまり鳩山由紀夫内閣は総辞職、小沢一郎幹事長を道づれにして、昨年6月管 直人内閣に交代しました。しかし7月の参議院選挙で民主党は惨敗、管首相の消費税発言、マニフェストの不実行などが大きく影響しました。  引き続き9月14日の民主党代表選は小沢対管の内ゲバとなり、まるで首相公選であるかのような街頭演説では国家の基本と治安、防衛、外交には触れず、コップの中の嵐に酔いしれた選挙戦で管 直人代表が再選、管内閣が発足、挙党態勢のトロイカに決別、小沢排除の内閣、労組組織内議員7人を含む労組配慮革新左翼政権が誕生しました。
驚いたことは、国家公安委員長の岡崎大臣はソウルの日本大使館前で慰安婦問題デモに参加、北朝鮮関係者から寄附を受けたりした曰く付きの議員でした。また民主党の政治主導を掲げた新政権の政治決定手法によりミスター年金の長妻厚生労働大臣が年金問題、後期高齢者制度廃止および医療崩壊を食い止め、国民に質の高い医療サービスを提供するという民主党のマニフェストマニフェストに基ずく施策を進めるとしましたが、官僚の抵抗に遭い、これといった施策も進められず退任しました。政治主導、脱官僚といっても、ただ要求を押し通し対立するだけでは、知識も豊富、能力ある官僚を動かすことは出来ません、官僚を上手に動かすことが望まれます。  民主主義は主権国家を前提とする国家観を持ち合わせなければならないのに、非武装中立を党是とした旧社会党のイデオロギーに引きずられ憲法9条的平和、資本主義、競争社会の否定の左翼的バイアス、革新系の民主党です。沖縄米軍駐留反対、安保反対を唱えるなら、日本は自ら国を守れる強力な軍事力が必要で、徴兵制度も必要で、今の若者には無理でしょう。人間の権利は要求すること、他人のために働くことは資本主義に奉仕することだと教えた日教組の教員たちが日本を駄目にしました。  私も戦後の自虐教育を受け、過去には破壊活動防止法案反対、安保反対闘争の中で、社会主義、共産主義の教条的幻想のもと左翼思想に共鳴していました。その時代の闘士たち管、仙谷、興石らが主流をなすのが民主党管政権、革新政権です。国会答弁もどちらが首相かと思われる仙谷官房長官の強弁がまかり通っています。  
世界的な金融危機はやや回復の基調にあるかに見えましたが、わが国は株安、円高による輸出産業の低迷、中小企業の倒産、物価安、失業率増などデフレ状態は日銀の為替介入にもかかわらず一段と深刻になり「乖数効果」を知らず経済音痴での管首相では日本の経済立て直しは困難で管内閣はいかなる対応策があるのでしょうか。  雇用、しかしその雇用は医療、介護、保育など、支持母体の管公労組、日教組への配慮のみ、企業へも補助金出して雇い上げ促進策、いずれも雇用による利潤は望めません。経済を活性化してこそ大きな雇用が生まれます。また働く仕事が無い無いといいながら、外国人が至る所で仕事をしています。きつい仕事はいやなど贅沢を言っている場合ではないでしょう  ねじれ国会での補正予算、小沢一郎元幹事長の国会での説明、中国問題、TPP、APEC会議、柳田法務大臣の国会無視発言で更送、仙石官房長官の自衛隊は暴力装置発言など危機的状態の管政権はまさに国家感の喪失した死に体状態にあります。春には政界再編成も有るかも知れません。  またマスメディアが国民の衝動を刺激して大臣を次々更送、首相の首もすげ替え、マスメディアが支援する政治に訣別し、保守系と非保守系の英国、オーストラリアのような保守党と労働党の二大政党政治が望ましいと思います。そして確固たる国家感を持つことではないでしょうか。  
靖国神社参拝しないことを閣議申し合わせした管内閣、閣僚誰一人参拝せず、無縁墓地に記名の花輪を掲げ拝礼したのでは、国のために命を捧げた英霊に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。そこで私は昨年8月16日に、親族が奉られている靖国神社に参拝と遊就館見学をしました。  
政治情勢以外で心配された話題は、地球温暖化が進行している中、昨年夏は明治31年の統計以来の記録的な猛暑は熱中症で多数の被害者を出しました。昨年は国連が定めた国際生物多様性年で10月に名古屋で条約の第10回締約国会議(COP10)が開催されましたが、地球の平均気温が1・5〜2・5℃上昇すると20〜30%の生物が絶滅するといわれ、地球環境の将来が心配されます。  
昨年8月東京都の最高齢者であった110才男性のミイラが発見され、30年前に死亡していたにも関わらず、家族が年金を受給しいました。その後全国で次々と死亡高齢者の年金受給詐欺が摘発され、戸籍上150〜200才の生存者が多数発見され、行政の怠慢と隣近所の無関心が指摘されました。  
その他、昨年4月宮崎県での牛の口蹄疫が10年振りに発生、10万頭以上の感染牛が殺処分され畜産業界に大打撃を与えました。  
また郵便不正事件に端を発した厚労省の村木厚子局長逮捕に関して大阪地検特捜部の主任検事の証拠改竄ねつ造か発覚、無罪判決後、捜査に当たった主任検事、特捜部長らが逆に逮捕され、従来政治家の贈収賄事件など正義の味方と云われた検察に大きな汚点と不信を抱かせるなど、世間を騒がせた事件が多くありました。  
このような世相の中で明るいるい話題と快挙はは、一昨年に引き続き2名のノーベル化学賞が受賞されました。鈴木 章(80)北海道大学名誉教授と米国バデュー大学の根岸英一(75)特別教授の有機合成化学の炭素原子結合が緩やかな条件になるクロスカップリングの発見に対してで、降圧剤などの医薬品、テレビの液晶画面の液晶化学などに応用されています。これらの業績に対して特許を申請していないために誰しもが応用され世界中広がったといえます。  
昨年6月13日、7年間の宇宙往復の旅を終えた探査機「はやぶさ」が地球大気圏に無事帰還、小惑星イトカワの表面サンプルを採取したカプセルを切り離し後本体は燃え尽き、カプセルはオーストラリアの砂漠に着地しました。2003年5月宇宙航空研究開発機構(JAXA)よりに打ち上げられ、2005年9月にイトカワに到着、表面の観測と資料を採取して後地球帰還を目指しました。しかし一時期地球との連絡が途絶え行方不明となり、イオンエンジンの故障など満身創痍の探査機を、幾多の困難を克服して帰還せしめた川口淳一教授ら地上スタッフと日本の技術に絶賛したいと思います。2014には「はやぶさ2」の打ち上げ計画があり成功を祈ります。  
一方スポーツ界では、柔道世界選手権で男子3、女子5個の金メダル、中でも女子48キロ級22才の浅見八瑠奈が連覇を目指して福見友子を破り初優勝は見事でした.同じく世界女子バレーで32年振りに銅メダルを取った日本代表チームも賞賛します。また大相撲九州場所で白鳳の連勝を63で阻止し、双葉山の69連勝の記録破りを目前を阻止した稀勢の里の金星は快挙でした。米大リーグ、シアトルマリナーズのイチローの10年連続200本安打も見事でした。

医療情勢
●医政と医療  医政なくして医療なし、医療なくして医政なし、即ち医政と医療の関係は切っても切り離せないといわれて来ました。従来医療従事者の医療にかかわる希望要求などは、国会議員を通じて立法、法律改正ならびに関係省庁に、予算請求なとがなされていました。過去には長らく自民党時代でありましたので、日本医師会は自民党の医系議員を通じて行動していました。  しかし医師(開業医であれ勤務医であれ)思想、信仰は自由であり、日本医師会員であっても革新系の保険医協会員を兼ねている会員も多くいます。  支持政党も自民党から民主党、共産党まで幅広く、無党派層もいます。必ずしも組織的に一党支持ではありません。医師個人の政党支持と医師会の政党支持関係はどのように今後枠組みをしていくか検討の余地があります。  従来日本医師会は自民党支持で都道府県医師会、地区医師会も右にならえでしたが、昨今の政権交代では医師会員の60%が民主党支持で投票したといわれています。  昨年4月1日の日本医師会長選挙は原中勝征茨城県医師会長131票、森 洋一京都府医師会長118票、唐沢祥人日医会長107票で原中勝征氏が当選しました。今回は民主党支持を表明した原中勝征勝征会長が就任しましたが、副会長を含む13名の理事は、従来のキャビネット式では無いために、森派唐沢派の副会長や理事が混在、ねじれ執行部が危惧されました。  現在各政党が独自の医療政策を打出しています。医師会員も惑い、医師会は分断されています。昨年7月17日の参議院選挙は民主党が惨敗44議席過半数を割り込み衆参ねじれ国会となりました。この結果、日本医師政治連盟推薦、病院団体統一候補で民主党の安藤高夫、同支援自民党の西島英利、同支援みんなの党の清水鴻一郎の3候補はいずれも落選し、日医は参議院で政界へのパイプを全て失いました。日医連3候補の得票数は170、188票で3年前の武見敬三候補の186、616票、6年前の西島英利候補の250、443票もおよばなく、複数候補立候補の影響と日医の集票力低下が影響しました。  他方、歯科医師会は民主党の候補、薬剤師会は自民党候補、看護協会は自民党候補をそれぞれ当選させ明暗を分けました。全国の医師会を統一見解に戻すことは難しく、分断していることは不幸で、政策が進みません。医政ばかりでなく国政特に国家論においても然りです。  医師である国会議員は各政党を通じてかなりの人数がいます。しかしそれらの医師は必ずしも医師会の推薦ではなく、医師会が主張する医療政策の代弁者ではありません。  現在民主党の政権下では、マニフェストに則って医療政策が進められています。日本医師会長も民主党支持の原中会長でその主張が取り入れられているものと思われます。 しかし、もし政権が交代するとすれば、何処の政党を支持するのか、何処に陳情していくのか分かりません。  基本的には医師会は会員ののコンセンサスを得た明確な医療政策を持ち、いかなる政党政権になろうとも訴えて行くべきだと考えます。政権が交代する度に支持政党を変え、主張を変えることは避けたいものです。
●医師不足と新設医大  昨年来民主党政権は医師不足解消の対策として、かねてから新設医大を目指して名乗りを挙げている私立では北海道医療大学、国際医療福祉大学、聖隷クリストファー大学、公立ではこだて未来大学、成田市の医大について、今年度から審議が始まる予定としました。しかし医大新設には、既存医大から多数の教員が引き抜かれ医師不足に輪をかける、医大新設には数千億円の費用と多数の医師、看護師、パラメディカルなどの人材が必要であり、医療機器、器具など多少の内需活性はあるかも知れないが、雇用を潤すことは微々たるものでしょう。全国の医学部長、病院会議、全国私立医大協会、日本医師会は反対を表明しています。  戦時中の医師不足に臨時医専の増設で賄ったことがありますが、戦後は医師過剰となった原因の一つになりました。  医学部の定員増でも新設医大でも、役立つ医師になるには、10数年かかる、しかもその医師が医師不足の外科、産科、小児科、麻酔科の医師、へき地に行く医師になる保障はありません。それなら小児医大、産科医大でも作るべきでしょう。医師は決して不足はしていません。偏在、配置の問題でしょう。  特定看護師問題  昨年2月厚労省はチーム医療推進検討会で「特定看護師」の新設が提案し、医師の指示で検査、処置、薬剤使用などが出来る資格として経験看護師としての経験年数、大学院修士課程修了などが要件が考慮されています。  現在医師にしか出来ないことを看護師などパラメディカルに資格を与え、麻酔、小児、産科、介護などの領域で痰の吸引、切開縫合などを可能にすることで、医師不足が補えるのではと考えます。
●医師への苦情  従来から、医療機関で医師から怒鳴られた、受付の対応が悪いなど医療事故を除いた不快な出来事の苦情は何処に話せば良いのかと問い合わせがありました。既に平成15年から公的な相談窓口として、各都道府県に「医療安全支援センター」が400個所近く出来ています。東京都では「患者の声相談窓口」があり、看護師など専門職員が電話で対応しています。一日40〜50件の相談があるそうです。また特定機能病院にも患者相談窓口の設置が義務付けられていて、東邦大学医療センター大森病院にも設置されています。その他各医療機関でも独自に窓口設置をしているところもあります。厚労省は一昨年から医師と患者の対話を促進を支援する院内相談員養成に補助金支給を出すとしています。  東京都医師会に診療情報提供処理委員会というのがあり、その委員長を仰せつかっています。患者さんからの診療に関する相談、クレームなどを処理する委員会です。毎月20〜30件の相談を受けています。主な苦情の内容は、医療機関窓口での対応、医師、看護師など医療従事者への診療態度の不満、言葉使いへの不満が多く、また院内が不潔、入院患者の食事の不満など多様であります。ちょっとした言葉使い、言葉尻を捕まえ過度に反応し、子供を叱ると逆に怒られ、過保護で子供を叱らない親もいます。  患者さんの医療知識の向上と権利意識の向上、特にインターネットによる知識、テレビ番組の知識など、高度な医療を求める、きめ細かい医療サービスを求める、患者のニーズの高度化、多様化が要因と想われますが、元来医療は医師と患者相互の信頼関係構築の上に存在しているものであります。軽症患者に悩まされる救急病院、時間外の診療も患者さんの都合次第もあり、地域加算3点を算定しない医師も多いです。  日常の医療現場は振り回される迷惑行為、クレーム、医師や看護師など医療従事者に対する、時には身の危険を感じたり、刺されたり院内暴力の背景には医療機関には最高のサービスを要求すべきだという考えにメディアが加担しているとも云われています。  テレビの影響力は、政治に与えるのと同じく、過大なものがあり報道の過熱化が原因で、翌日患者が殺到するといわれています。
●医療現場でのIT化  医療現場でのIT化は電子カルテ、オーダリングシステム、電子レセプト請求が普及する中、さらにオープンソースソフトウェア(Osirix)での医療の可視化が進んでいます。昨年iPadの発売により、医療用画像を表示して手術、診療の現場および医学教育での応用が実施されるようになりました。これら医療の可視化は手術などより安全化と同時に医療の専門知識、技術の一般人への公開にも役立つものと思われます。  医療機関での電子レセプト請求も82・5%となり、オンライン化61・8%、電子媒体20・7%、紙レセプト17・5%となりました。
●感染症その他  一昨年日本中を騒がせた新型インフルエンザは昨年の2月頃には終息しました。前回配給された新型インフルエンザのワクチンは未使用分は引き取らない条件でしたが、国の施策で配布されたワクチンだから引き取るように交渉、昨年9月に回収返金されました。  今回のワクチンはH1N1型を含む3価ワクチンで豊富にあり、10月よりインフルエンザ予防接種が始まりましたが今回ワクチンは前回のように接種者の優先順位などはなく、13才以下と高齢者を除いて3600円と公定価格が示されました。  10才未満の小児に対するインフルエンザ治療薬(長時間作用型ノイラミニダーゼ阻害薬)ラニナミビルオクタン酸エステル(イナビル)吸入粉末剤が発売、1回吸入投与という新しい治療薬です。  多剤耐性菌アシネストバクタMRAB、同緑膿菌MDRP、インドの多剤耐性遺伝子NDM1にカルバベネム系の蚕からの抗生物質カイコシンが開発されています。  昨年7月臓器移植法改正は本人の承諾なし家族の承諾で移植急増、僅か2ヶ月で10例に達し、昨年度の5例を大幅に増加しました。改正は脳死判定と家族の承諾、親族提供優先、15才未満の小児からの提供、などでした。問題点として、コーディネーター増員、ネットワーク組織の効率化などが挙げられています。
●医療費問題  厚労省の国民医療費の将来推計は平成22年度37・5兆円が平成27年には52・3兆円と推計、同時に保険料は23・6兆円、公費は18・2兆円増を見込んでいます。過去の推計よりは10億円の下方修正で今回は自然増1・5%増として年2・2%増としています。しかしその財源確保については不明確です。  昨年10月平成22年度の補正予算案として、緊急総合経済対策として5兆500億円が閣議決定、内社会保障関連事業費として1兆1000億円が計上され、その内訳は地域医療再生基金に2000億円、子宮頚部がんワクチン150億円、乳幼児の細菌性髄膜炎原因となるインフルエンザ菌b型Hibワクチン、小児用肺炎球菌ワクチンなどがあります。しかし日本のワクチン導入には副反応に対する不安感が根強く、米国の18種類に比べると後進国であります。  昨年4月に2年毎の診療報酬改定がありました。民主党のマニフェストによると入院施設を持つ医療機関の診療報酬を増額する、勤務医がいる病院に手厚くするとあり、長妻厚労相も厚労委員会で値上げの意向を示しましたが財務省は引き下げを、中央医療協議会も支払い側は引き上げの環境に無いと主張しました。11月末の中医協総会は診療側の大幅引き上げ要求に支払い側、公益側も財源問題で難色を示しました。  結局昨年4月の診療報酬改定は10年振りに10%増となり、その配分も医療崩壊打開策として病院勤務医向けに配分され入院基本料の値上があり、一般開業医側にはあまり恩恵がありませんでした。  民主党が示した診療報酬改定は低医療費からの脱却からはほど遠く、総医療費34兆円の僅か0・9%700億円の引き上げでした。薬価の引き下げ600億円と相殺すると実質0・03%、100億円に過ぎませんでした。これが10%増と云われるものです。救急、産科、小児科、高度医療の大学病院などに恩恵が有り、慢性期医療の療養病床の入院基本料、診療所の再診料が引き下げられました。  再診料は病院、診療所を統一して69点、病院増180億円、診療所減200億円で相殺されました。外来管理加算の5分間ルールの廃止、新たに時間外の地域貢献加算3点、明細書発行加算が1点加算されました。そもそも病院と診療所との初診料。再診料の格差はかぜなどの簡単な疾患での大病院受診を制限する目的に設定したものでした。即ち大病院は高度の専門医療を担い、なんでもかんでも大病院に患者さんが殺到するのを阻止する病院と診療所の機能評価が目的でした。病院勤務医の給与と開業医の売り上げ収入額との単純な比較は矛盾があります。いずれにしても政務三役の意向が反映したとはいうものの、財源捻出には財務省に押し切られた形となったようです。  今回の改訂も医療保険の抜本改正とは大きく懸け離れ、患者さん本位の医療が失われることとなりそうです。  厚労省の医療施設調査では年々病院数は減少方向に有り、21年度は55施設減の8、739施設、一般診療所も平成17年をピークに増加が鈍り、同21年は開設4、744、廃止4、192差引552施設の増に留まりました。  引き続く低医療費政策により、医療機関は疲弊、崩壊寸前にあり、地域医療を支え、医療の質と安全の確保のために医療費の引上げが望まれます。
●後期高齢者医療制度  平成19年4月より実施された後期高齢者医療制度は一昨年衆議院選挙向け民主党のマニフェストスに廃止論を唱えました。しかし後期高齢者医療制度を元の老人保険制度戻すといってもかなりの混乱が予想されました。高齢者医療制度改革会議は、新制度への本格的な移行には財政負担を巡る関係者調整や保険者の一元化など問題点が多くあり新制度移行にはかなりの時間を要すると考えられました。そこで第一段階として平成25年度から、市町村国保に加入する75才以上は都道府県単位の財政運営の高齢者医療とし、被保険者保険は75才以上もそのまま加入とし、その後全年齢者対象の都道府県単位の財政運営の国保と被保険者保険に移行するとしています。75才以上を暫定的とはいえ、区切りを付けること、市町村単位から、都道府県単位に移行する財政調整が問題となるでしょう。また加入者一人当たりの保険料の将来見通しとして、平成37年には国保に加入する75才以上は年9万5千円の負担となります。また平成25年度から70〜74才の2割負担負化を提案、保険者は賛成、日医は反対しています。  日本は世界一の長寿国です。その原因は国民皆保険制度により何時、何処でも高度な医療が受けられることに依るところが大です。それにはかなりの財源が必要で、高齢者医療制度は早晩行き詰まりが予測されますが、民主党の政策は新たな制度とのことですが、かなりの困難が予測されます。  後期高齢者の心身的特性は、老化にともなう生理的機能の低下による治療の長期化、複数の慢性疾患に罹患、認知症、やがて寿命が尽きるなどの問題点があります。  人の寿命の限界120才位といわれ、ギネスブックの最高齢者は122才といわれています。寿命をコントロールする長寿遺伝子が50個以上あるといわれ、ハエや線虫では2〜3倍、哺乳類でもいくらか延長するとの報告があります。また絶食も影響があるようで、断食が良いのかは定かではありませんが、過食しないこと体重を増やさないことは頷けます。
●介護保険制度  平成12年に介護保険制度発足以来10年を経て、厚労省によれぱ要介護別認定者はまもなく500万人を超えると云われる今日、特別養護老人ホームは42万人待ちで、在宅での介護サービス利用となります。その在宅サービスも要介護度および利用の度合いにより上限額を超えると自己負担額が増額します。例えば要介護5で、ホームヘルパーが訪問して、買い物、食事の世話、入浴の世話、さらに深夜も含むおむつ交換などを単位と時間数で料金換算すると一ヶ月当たり5〜6万円、加えて訪問看護師の訪問料金もあります。介護保険料の値上げもあるとさらに負担額は増えます。  数年後には団塊の世代が後期高齢者となり、介護保険利用者が益々増大し、介護の需要にそれに伴う介護職員の供給が追いつかなくなります。  社会保障審議会介護保険部会では、介護人材の確保と待遇改善策、情報公開制度のあり方、介護保険制度における指導監督が論議されています。  民主党政権は失業者対策として失業者を不足している介護要員として就業させるとしていますが、介護要員は有資格者であり誰でも明日からできるものではありません、資格を取るのに時間がかかり、また介護要員はかなりハードな割には賃金が安く希望者が少なく安易に失業者対策とはならないでしょう  一昨年要介護認定のバラツキを是正するための見直しがなされましたか、僅か6ヶ月で再改訂されました。この改訂では、被介護者の能力、麻痺、拘縮などは、頻回な状態で選択することとなり、独居についての考え方の変更があり、この結果2次判定における1次判定結果の変更率は上昇23%、下降1・7%で1段上・下降が最も多く、2次判定の各該当率は、非該当0・8%、要支援1、11・8%、要支援2、10・8%、要介護1、19・8%、要介護2、17・2%、要介護3、14・3%、、要介護4、13・7%、要介護5、11・9%となり、要介護1を頂点として分布しました。要介護1の状態像は認知機能や思考・感情の障害により46・89%、疾病や外傷などにより心身の状態が安定子しない状態53・11%でした。
●医療と税制  従来の自民党政権下での税制改正プロセスと民主党政権下の税制改正の仕組みは大幅に変革しました。  自民党政権下では、日本医師会の医業税制委員会からの要望は厚労省の医政局で省内調整され自民党の厚生労働部会を経て自民党税制調査会で協議後政府税制調査会で検討されました。この間財務省には法人税と消費税について、総務省には事業税と固定資産税について要望側が働きかけたり、当局側の意見を述べたりしました。  民主党政権下になってからは政治主導となり、医師会からの要望は民主党窓口から厚労省政務三役会議、政策会議を経て財務大臣、総務大臣、国家戦略担当大臣および各省副大臣に租税特別プロジェクトチームと企画委員会加わった新しい政府税制調査会で検討することとなり、専門家委員会の助言報告を受け、民主党政策調査会も関与する仕組みとなりました。 「控除対象外消費税」  消費税アップ発言が災いして参議院選で民主党が惨敗しましたが、その消費税とはモノの販売やサービスの提供に対して「消費者」が負担するもので、事業者が負担するものではありません。医療機関では自由診療を除いて保険診療では患者さんから「消費税」を受け取っていません。しかし保険診療を行うための医薬品、医療器具・設備を購入するとき「消費税」を支払っています。  すなわち保険診療を行うための仕入れその他にかかった消費税は控除されません。この控除出来ない消費税が医療機関に不合理な税負担を強いられています。このことを「控除対象外消費税」と呼んでいます。例えば医療機関の売り上げ10億円の内、保険診療分9億円自由診療分1億円あったとしますと自由診療分から消費税5%の500万円が徴収されます。一方仕入れは医薬品など4億円、それに支払われた消費税5%は2、000万円で自由診療分は10%の200万です。従って実際に税務署に納税する消費税は、自由診療で徴収された500万円から仕入れで支払った自由診療分200万円を差し引きした300万円となり、仕入れ時に負担した消費税総額2000万円から納税額の300万円を引いた残りの1、800万円が「控除対象外消費税」となります。保険診療収入に占める割合は2%に相当します。 「控除対象外消費税」の負担の現状は、私立医大病院2・7%、その他の病院2・5%診療所2・2%であるといわれています。この「控除対象外消費税」について保険診療報酬平成元年と同9年の診療報酬改定で診療報酬本体、薬価、医療材料で1・53%上乗せしたとされましたが、その後改訂では明確ではありません。  医療機関全体の負担額は約2、200億円と試算されています。長年に亘る多額の控除対象外消費税の負担は医療機関の経営を大幅に圧迫していて、仮に消費税が10%にアップされますと「控除対象外消費税」も2倍になり医療機関の経営崩壊に向かいます。0税率または軽減税率など抜本的に改定が望まれます。 「事業税について」  所得に関する課税は、国税として個人は所得税を法人は法人税と地方法人特別税があります。都道府県税として個人は都道府県税と個人事業税を、法人は都道府県税と法人事業税があります。さらにそれぞれ市町村税が加わります。しかし保険診療報酬に対する事業税は非課税となっています。自由診療分ついては個人は1、000万円以下は非課税、法人は軽減税率となっています。国公立、学校法人の医療機関は非課税です。保険診療に対する事業税非課税措置は診療保険点数という公定価格による公共性の高い事業であること、ならびに休日診療、救急医療、予防接種、住民検診などの公共行政サービスに貢献していることから保険診療に対しての事業税非課税措置がなされてきました。しかしその非課税事業税を廃止の方向の議論がなされています。医療機関の経営基盤が更に悪化することが懸念され、断固反対です。  保険診療報酬に対する所得税計算の特例措置、いわゆる医師優遇税と称されるものは、昭和29年に保険診療報酬が公定価格で低価格に設定されていることに対する見返りとして特例措置が立法され、概算経費率を一律72%としました。しかしその後昭和54年には所得別に52〜72%の5段階に、更に平成元年には保険診療報酬5、000万円以下を4段階として小規模医療機関の経営の安定化を図りました。平成22年6月の日本医師会での実態調査では、保険診療報酬が年間5、000万円以下の個人開業医の適用率は52・9%、内70才以上の高齢者52・8%を占めていました。即ち小規模および高齢者に広く利用されていることを示しています。  今後消費税問題、事業税の特例措置の存続、所得税の概算経費率の存続を強く求めて行きたいと思います。

母校の現況
●母校の現執行部  理事(任期自平成21年9月1日至同24年8月31日)
理事長  炭山嘉伸(昭和45年卒)
常務理事 磯野信行、山沢一郎
役職理事 青木継捻(昭和40年卒)学長、黒田 優(昭和55年卒)医学部長、
井上義雄(東大)薬学部長、大島範子(お茶大)理学部長、渡邊俶充駒場中高校長、杉本元信(昭和47年卒)大森病院長
評議員選出理事 山崎純一(昭和51年卒) 医学部教員、高橋良哉薬学部教員、小林芳郎理学部教員、舳松 洋(昭和32年卒)医学部卒業生、塚原英基(薬 昭和40年卒)薬学部卒業生、鮫島寛次(昭和41年卒) 駒場東邦中高卒業生
学識経験者理事 伊藤元博(昭和41年卒)(以上16名、内卒業生9名)
監事西込明彦、望月正芳

学長(任期平成21年5月から同24年4月)青木継捻(昭和40年卒)
学部長、学科長(任期平成21年3月から同24年3月)
医学部長、医学科長黒田優(昭和55年卒)、
医学部看護学科長高木廣文(東大院昭和54年卒)、
薬学部長は井上義雄教授(東大院昭和52年卒)
理学部長大島範子教授(お茶大院修昭和47年卒)
病院長(任期平成21年6月30日から同24年6月)
大森病院長杉本元信(昭和47年卒)総合診療科教授、
大橋病院長甲田英一(慶大昭和47年卒)放射線科教授
佐倉病院長田上 恵(金沢大)麻酔科教授

評議員(54名)
医学部卒業生(6名)舳松 洋(昭和32年卒)、荏原光夫(昭和34年卒)、森下 健(昭和37年卒)、海老根東雄(昭和38年卒)、 中島麒一郎(昭和43年卒)、星 北斗(平成1年卒)
評議員会・議長 荏原光夫(昭和34年卒)
副議長 杉田善彦(薬 昭和48年卒)
●母校の概況
一昨昨年9月炭山嘉伸(昭和45年卒)理事長に交代、、新しい時代を迎えました。医学部は大森病院新3号館、佐倉病院の150床増床に次いで大橋病院の新病院建設を近隣の日本通運の土地にて計画が具体化しつつあります。  東邦大学は「自然・生命・人間」を建学の精神とした自然科学系の総合大学であることを念頭に、この特色を教育、研究、診療に生かして質の向上を目指したいとしています。  大学を取巻く環境は少子化にともない38・1%の大学が定員割れ、44・3%が赤字経営、学生募集停止や閉鎖を余儀なくされ、本格的な「大学淘汰」の時代に突入しつつあります。そういう時代背景の中で東邦大学は、「選ばれる大学」、「選ばれる病院」として永続するために引続き教育の質の向上、財政基盤の向上が不可欠であるとしています。以下主として医学部関係の概況です。  教育目標  大学の入学志願者および優秀な学生の確保のためのオープンキャンパス、進学相談会、「小学生夏の医学校」開催など。国家試験合格率の高位安定化の予備試験実施。特色ある教育への取り組みとしての東邦大学国際交流センターの設置など。  教学環境の整備として引続き学生会館改修工事、空調機更新工事など。  医学部機構改革の歪みの改善について、臨床系教員の一元化、任期制導入について、機構検討委員会、作業部会、業績評価委員会で新たな基準策定と同時に講座・研究室分野の統合整備と教授定数案について検討中。  医学部看護学科から看護学部看護学科への改組は昨年6月文科省受理、平成23年4月より発足。  研究目標  研究の活性化と外部資金の獲得のため、文科省補助金「がんプロフェショナル養成支援室」、「看護キャリア支援センター」、「周産期人材育成推進室」を設立。その他新規研究補助金採択件数の増加が課題となっています。  大学院の充実として、従来の基礎医学形態系、機能系、社会系、臨床医学内科系、外科系分類を医学全体を代謝機能制御系、高次機能代謝系、生体応答系、社会環境医療系に分類してそれぞれの系に該当する専攻分野となる学科目を設置。  国際交流センターの設置  従来国際交流にに関する大業務は学事統括部の国際交流課が扱ぃ、国際大学ジョイントセミナー、MOU締結の取扱いをしてきましたが、昨年10月海外の大学、教員、学生の交流企画推進を更に推進する目的に東邦大学国際交流センターを設置。  母校の財政  東邦大学のホームページ、TOHO NOWで公表されています。
平成21年度の財務の帰属収入は学納金、寄附金、補助金、医療収入など約710億円で医療収入が約500億円で70%を占めます。しかし当初予算に比し11億4百万円未達でした。消費支出は人件費、教育研究費、管理費、医療材料費など約654億円で人件費が約353億円49・6%を占めます。差し引き一次収支差額は55億7千4百万円の黒字となり、昨年比4億6千8百万円9・2%増収です。消費収支項目は41億6千2百万円で、消費収支差額の黒字14億1千1百万円は前年比6億3千9百万円の増収となりました。しかし基本金組み入れ額は33億2千3百万円で組み入れ後の消費収支超過額は19億1千1百万円の赤字となります。  消費収支差額14億1千1百万円の黒字でしたが、消費収支項目の増加は機器備品等の除却に伴い資産処分差額高くなったこと、減価償却や退職給与引当金負担増のためです。  経営状況の判断は利益率ですが、学校会計では消費収支差額の1、411百万円の帰属収入に対する比率は2%で前年より0・9%上昇、この比率が大きいほど自己資金が充実され経営に余裕ができます。しかし目標の3%に一歩近付きました。  3病院とも第一次収入から一次支出を差し引いた(粗利益)は大森17億4百万円、大橋4億2千5百万円、佐倉2億4千4百万円の黒字ですが、配賦経費、消費収支項目を差し引くと最終的な消費収支差額は大森病院3億3百万円赤字、大橋病院は1千万円黒字、佐倉病院は9億円赤字となりました。
□平成21年度長期借入金弁済が2、413百万円あり、残高は16、824百万円、金利負担は474百万円でした。
□平成22年度予算では、帰属収支差額888百万円の黒字確保を目標にしました。  平成22年度の中間推計の概要は、第一次収入76、173百万円、予算比2、209百万円の増収が予測。第一次支出は69、312百万円、予算を166百万円上回る。第一次収支差学は6、861百万円、予算を2、044百万円上回り、消費収支項目が20百万円増加するものの帰属収支差額は予算比2、025百万円改善して、2、913百万円の黒字が推計されています。  病院の収支は3病院、羽田クリニック合計55、045百万円の推計、前年度比5、268百万円の増収、しかし予算比1、509百万円の増収が見込まれています。今年度は診療報酬改定、大橋、佐倉病院のDPC導入などがブラス要因となり、3病院で大幅な増収が見込まれます。
□平成23年度の予算編成目標は750億円、内医療収入を550億円とし、粗利益10%75億円を目標に、消費収支項目を45億円、帰属収支差額30億円の黒字4%を目標にするとしています。 寄附金募集の常設窓口の設置  従来、周年事業での寄附金募集は、その都度募金目的と目標額、期間を設定しての募集でしたが、この度恒常的な募金活動窓口の設定を平成22年10月より実施し、各同窓会との連携と寄附金募集の窓口設置を呼びかけています。  しかし、従来から寄附金の募集はある目的を持ち一定の応募期間があって募集した方が効率的で、そうでなければ何時応募があるか分からない募金を待っているのは非能率的と考えます。過去にも卒業生からの浄財が寄附されていますが、使用目的を奨学金とかに指定されることが多く、やはり寄附された金額が何に使用されたかが不明なのは考えものです。  大森病院の新3号館建設時の募金は目標額30億円で、その内医学部東邦会に課せられた目標額は当初10億円でしたが、無理だろうということで8億円を目標額にして、学内外の卒業生に呼びかけました。その結果最終的に7億8千万円とほぼ目標額を達成しました。総工費200億円からすれば8億円は微々たる額ですが、東邦会からはその寄附金が新3号館建設の何処に使用されたかを分かるようにして欲しいと申し入れていました。例えば病棟、手術室の一部とか、医療機器、そしてそこに、これは医学部の卒業生が寄贈したものだと銘記して欲しかったと思います。その代わりに2階に寄附者名を掲げていただきました。  また経理上は、募金による寄附金は寄附金の項目でなく、大森病院の寄附収入に計上され、消費されました。
管理・運営  昨年10月羽田空港国際線の開港に伴い、従来の国内線クリニックに加えて国際線クリニックを開設しました。  3病院の看護師確保活動は学校訪問、就職説明会など実施、一般応募者の増加、本学看護学科および佐倉看護専門卒業生の就職確保と看護キャリアセンターの活動。同時に職場環境の改善と離職者の減少を図っています。  産学連携プロジェクトの推進、エコ・省エネ活動の推進の取組みを推進します。  額田記念東邦大学資料室を医学部本館1階にオープン、創立者の額田 晋、豊兄弟を顕彰する資料を展示しています。関連して額田 豊先生創立の北鎌倉学園との提携の検討もあります。  3年後の東邦大学創立90周年に向けての準備委員会が設置され、具体的な事業計画の策定が進められています。  その他法人広報誌の「東邦大学広報」の刷新、本学施設の耐震状況調査、医療ツーリズムの検討などがあります。  東邦大学八千代グランドの整備計画に医学部東邦会より整備費の支援をするこにしています。
平成21年度東邦大学学生在籍者数8、438名、昨年より89名増。教職員数3、636名93名増でした。
東邦大学の知名度を上げるためのブランディングプロジェクトの取り組みとして、昨年10月の羽田空港国際線開港に際して、空港内の大型映像メディア「健康エアポート」に東邦大学医療センター3病院の医師が1週交代で出演する健康情報番組一時間5本のペースで放送を開始、従来の国内線の東邦大学のCM放送と合わせてイメージアップを図ることとなりました。  ラッピングバスの運行も習志野地区に加え、幕張地区、羽田地区にも運行。  京急電鉄の高架化に伴い、大森病院新3号館外壁に東邦大学病院の看板を設置し、電車内から見えるようにしました。  引き続きダウンロードサイトの整備、プレスリリース配信の強化、ホームページの充実でアクセスの増加を図っています。知名度のアップには学外の卒業生を含めた幅広い視野からの提案が望まれます。
●入試、医師国家試験  一昨年度から本学医学部医学科の入学定員が10名増加しました。文部科学省の厳しい条件に対処するため、本学医学科は初年度納付金額の減額、納付金額全体の平準化を図っています。  再度東邦会の立場から、卒業生が母校に望む関心事の第一は卒業生の子弟の母校入学を願っています。幸い多くの卒業生は地方の僻地で地域医療に貢献しています。その後継者になる子弟が母校の医学科を受験した場合、卒後研修終了後は、親元に帰る事を考慮すれば、ぜひ合格して欲しいと思います。卒業生の子息女が受験される場合は、東邦会からご紹介させて頂きますのでご連絡下さい。  少子化に伴う、三学部の志願者数は年々減少の傾向にありますが、平成22年度の医学部医学科入試での志願者数は2、259名、前年度2、380名121名減少しました。入学者110名(男子70名、女子40名)でした。  平成22年2月卒業生は102名(男子70名、女子32名)でした。  平成22年度医師国家試験は新卒102名、既卒8名計110名が受験、合格者数新卒95名(93・1%、既卒7名(87・5%)、合計102名(92・7%)で全国平均89・2%を上回りました。全国の合格率は過去最高の合格率でした。  全国私立医大29校中5位、昨年の12位より上昇、全国80大学中21位、昨年40位より上昇しました。過去最高の合格率でした。  引き続き安定した高位合格率を目指したいと思います。
●母校に期待すること  母校に望まれることは、財政を豊かにして、将来に向け安定した強固な財政基盤を作ること、知名度を上げることに尽きます。  現況の日本の経済情勢では、収入原の授業料、寄附金、補助金、雑収入はこれ以上多くは望めません。唯一総収入の70%以上を占める病院収入は努力次第では増収が図れます。では昨今の医療費抑制時代にどのような奇策があるのでしょか。それは付属病院収入増として、患者数、診療単価、手術件数、ベッドの利用率、在院日数など、東邦大学医療センター3病院でそれぞれ改善をはかる必要があります。何故高収益の大学病院が存在するのか、何故患者さんが多く受診するのか比較検討、その理由が医師の知名度によるのか、大学のブランドによるのか、診療科目、診療設備、診療医師の手腕、病院の立地条件などさまざまな要素を再検討して、再度東邦大学に何が足りないのか教職員が皆んなで考える努力をしてはと思います。  過去の機構改革の歪みについても、見直しの方向にあり、教職員に引き続き診療体制の強化に向けて、特に現場の声に耳を傾けながら、不退転の決意で望むべきと思います。  再々申し上げますが、母校には優れた施設、器機があり、優れた卒業生人材を活かし、英知を傾けて頂きたいと思います。
●母校の知名度の向上  一般に知名度とは名が世間に知られていること、名の聞こえていること、有名なことと云われています。知名度が低いということは、あまり世の中に知られていない、有名でないことになります。  大学の知名度は、一に学問研究業績が優れていることもさることながら、学会とか仲間内だけではなく、一般素人にも知名度が浸透していることです。特に付属病院の診療能力が知名度に大きく影響します。  最近の患者さんは、専門的な疾患についてはインターネットの検索により、何処の大学または病院にはどのような専門医がいるかの知識をあらかじめ調べて受診をしています。従って病院のホームページは受付の仕方から診療担当医の紹介、診療の内容細部にわたり、どのような疾病の診断治療が得意なのか、最新鋭の医療機器の有無、診療医師の知名度、外科系では手術件数、成功率など懇切丁寧に宣伝すること、口コミも大切な要素です。テレビ、新聞などに出演する機会を多くすることも患者数増加の重要な要素です。また立地条件の交通の至便さ、駐車場の広さなども関係します。  かねてから、母校の知名度については、我々卒業生特に学外にいる卒業生にとっては、常に母校の動静に関心をもっており、母校に名誉なことがあれば誇りに思い、不名誉なことがあれば肩身の狭い思いをします。  かって帝国女子医専時代は、東京女子医専、大阪高等医専と全国に3校しか無く、中でも帝国女子医専は知名度は抜群で全国から優秀な学生が受験しました。しかし戦後新制大学となり「東邦大学」となってから何となく知名度が低下したような気がします。  最近の話ですが、東邦会の支部会に出掛ける時、JRやJTBで乗車券を求める時、ホテルで領収書の宛名を東邦会として下さいというと、どんな字を書きますかと尋ねられます。東邦大学の東邦ですといっても理解してもらえず、結局メモ用紙に東邦と書いて渡しました。昨年2回ありましたが、残念ながらそれほど一般の人には東邦大学の知名度は低いのです。卒業生の一人として唖然としました。もっと積極的に電車内、駅、新聞などに広告を出し、宣伝費用に惜しまず投資してはと思います。  再度申し述べますが、昔から学校の知名度を高める手っ取り早い方法は野球、柔道、マラソンなどスポーツを強くすることであり、新聞、ラジオ、今ならテレビが無料で校名を宣伝してくれます。文武両道の施策で、スポーツを奨励し、入学にも特典を与えるも知名度を高める一つの方法であります。それにはグランドを含めた運動施設が必要です。特に医学部にはグランドがありません、グランドの取得に関心を持っていただきたい、グランドを狭めるような発想はあってはなりません。  再度広告については、学外卒業生の意見をもっと聞くべきで、卒業生は全国にいます。事務局で学外卒業生の意見を聞く企画をしてはと考えます。いま母校には、学外からは3学部で評議員選出理事がたった3人のみです。

東邦会のこと
●東邦会役員(任期自平成21年4月1日至同24年3月31日)
現理事役職および監事
会 長 舳松  洋(昭和32年卒) 城東支部
副会長 荏原 光夫(昭和34年卒) 横浜支部
森下  健(昭和37年卒) 城西支部
専務理事海老根東雄(昭和38年卒) 城東支部
理 事
※総務担当
中島麒一郎(昭和43年卒) 千葉県支部
星  北斗(平成1年卒) 福島県支部
寺園  崇(平成2年卒) 山口県支部
※経理担当 美島 利通(昭和35年卒) 城北支部
荒井 一歩(昭和54年卒) 横浜支部
※事業担当 庄司 宗介(昭和32年卒) 多摩支部
塚原 敏弘(昭和38年卒) 城南支部
※学術担当 平井 寛則(昭和45年卒) 湘南支部
安島 春洋(昭和51年卒) 城南支部
※厚生福祉 額田  均(昭和47年卒) 中央支部
亀井 敦行(昭和48年卒) 城西支部
※広報担当 松島 正浩(昭和41年卒) 城西支部
大久保 泰(昭和57年卒) 湘南支部
※学務担当 栃久保哲男(昭和51年卒) 城南支部
吉原 克則(昭和53年卒) 城南支部
監 事
上野 正彦(昭和29年卒) 城北支部
山出  智(昭和29年卒) 川崎支部
現在役員全員学部卒業生となり旧鶴風会の先輩がいなくなり寂しくなったことは時代の趨勢かも知れません。また今回は男性ばかりとなったこと、今後もより多くの若き世代の参入と女性の参加も望みたいと思います。
●同窓会の設立80周年記念祝賀会  平成22年7月17日(土)午後6時より梅雨明けの猛暑の中をグランドプリンスホテル高輪に於いて東邦大学医学部の同窓会設立80周年記念式典が開催されました。  ご来賓として全国の私立医科大学同窓会連絡会の幹事校の東京医科大学同窓会中野 徹会長、慶応義塾大学三四会吉野肇一副会長、東京女子医大至誠会竹宮敏子会長、日本大学医学部同窓会岡野匡雄会長、同鳥居孝昭副会長、日本医科大学同窓会 馬越正通会長、昭和大学医学部同窓会吉田文英会長、順天堂大学医学部同窓会森近 浩会長、同上部雅清副会長、杏林大学医学部同窓会近藤樹俊副会長、北里大学医学部同窓会大内孝文会長、同永岡 隆副会長、東海大学医学部星医会金渕一雄長会長、同長田成彦 理事、聖マリアンナ医大聖医会大坪毅人会長、帝京大学医学部同窓会加藤音羽副会長、大阪医科大学仁泉会佐藤公彦理事、関西医科大学同窓会秋田光彦会長、同四方伸明 副会長、愛知医科大学同窓会小出龍郎副会長、同山田晴生 事務局長、久留米医科大学同窓会田中幹夫会長。  東邦大学関係者として炭山嘉伸(昭和45年卒)理事長、青木継稔(昭和40年卒)学長、磯野信行常務理事、山澤一郎常務理事、丸山 優(昭和46年卒)副医学部長、飯村 誠大森学事部長、杉本元信(昭和47年卒)大森病院長、甲田英一大橋病院長、加藤良二佐倉病院副院長。  東邦大学同窓会関係者として、薬学部鶴風会塚原英基(薬 昭和40年卒)理事長、理学部鶴風会原 敏春(理 昭和42年卒)理事長、同石原京子(理 昭和44年卒)副理事長、東邦中・高校鮎川二郎(高7期)同窓会長、駒場中・高校邦友会鮫島寛次(昭和41年卒)前会長のご臨席を賜りました。  また同日開催の東邦会全国支部長会議に出席の宮城県支部長鈴木カツ子(昭和45年卒)、群馬県支部長岸 芳正(昭和30年卒)千葉県支部長深沢規夫(昭和40年卒)、東京城北支部長有村 章(昭和48年卒)、東京城東支部長伊藤隆一(昭和55年卒)、東京城西支部長亀井敦行(昭和48年卒)、東京城南支部長栗川幸子(昭和57年卒)、東京多摩支部長 石田哲朗(昭和49年卒) 、横浜支部長荻原 泰(昭和56年卒)、相模支部長早川浩市(昭和40年卒)、山梨県支部長斉藤義昭(昭和51年卒)、静岡県支部長鳥居重夫(昭和51年卒)、石川県支部長一林 繁(昭和47年卒)、福井県支部長伊部晃裕(昭和55年卒)、奈良県支部長平井象三(昭和32年卒)、広島県支部長高橋 淳(昭和58年卒)、山口県支部長寺園 崇(平成2年卒)、島根県支部長吉岡繁治(昭和37年卒)、宮崎県支部長藤元秀一郎(昭和59年卒)、沖縄県支部長饒波 剛(昭和36年卒)の各支部長が出席、一般会員50名。社会福祉法人鶴風会会長五島瑳智子(昭和25年卒)、同理事長中里 厚(昭和42年卒)、東邦会凖会員の6年生代表藤本和志、5年生代表渡邊昌太郎、4年生代表小山慶太(自治会長)、定本聡太、3年生代表武田 慶、谷沢美佳、橋本絢菜、1年生代表川島れいが出席、合計130名が出席しました。  当日の出席者には、記念品として、同窓会誌の「鶴風」「医学部同窓会ニュース」「東邦会ニュース」のそれぞれ創刊号から現在までを収録したDVDを配布しました。今回の東邦会ニュースに、東邦会会費完納者には同封いたしました。
●同窓会の80年概略  同窓会設立80年を迎え、母校の創成期から戦中、戦後の混乱期さらに復興期から病院スト、学内紛争、学園紛争などを経て、今日の発展隆盛期を迎えた母校の歴史の中で、女子医專時代の鶴風会、大学になってからの医学部同窓会、合同してからの東邦会がどのような係わりを持って来たのか、またそのような時代背景の中で卒業生の教員(講師、助教授、教授)への任用、管理運営(病院長、医学部長、学長、評議員、理事、理事長)への参画がどのようになされ、今日に至ったのか、その歴史の一端を再度振り返って見ます。  鶴風会時代  東邦大学医学部の同窓会は、昭和5年3月帝国女子医專第1回生134名が卒業、同年10月創立者の額田 晋校長先生を会長に仰ぎ「鶴風会」が設立された時を出発点と致します。昭和9年9月に鶴風会館が竣工しました。昭和10年母校創立10周年記念に、母校の玄関脇の創立者のご母堂額田宇多様の胸像を寄贈しています。昭和16年12月大東亜戦争勃発後は、勤労動員、南佐久へ疎開、繰り上げ卒業などがあり、同窓会活動はほとんど出来ない状態でした。昭和20年4月15日母校と付属病院戦災で焼失灰燼と帰しました。戦後は薬学、理学は習志野へ、帝国から東邦へ名称変更、旧制東邦医大から新制の東邦大学医学部となりました。特に戦後母校の存続を賭け、付属病院の再建に多くの卒業生が物心両面の多大な支援をしました。  昭和26年3月女子医專最後の卒業生を送り出した年に、第1回生足立智恵子(昭和5年卒、以下卒年のみ記載)が卒業生として初めて医学部鶴風会の会長に就任しました。昭和30年の母校の創立30周年を記念して11、12、13号病棟を寄贈。昭和33年4月社団法人認可、社団法人「東邦大学医学部鶴風会」となりました。また同年、龍 智恵子(昭和5年卒)ら有志により、社会福祉法人鶴風会、東京小児療育病院が開設されました。卒業生が携わった立派な事業です。  鶴風会、医学部同窓会並立時代  昭和35年11月大森病院のストライキの最中、大学の第1回生本多龍雄(昭和29年卒)らを中心に医学部同窓会本部会が結成されました。その理由は昭和26年3月女子医專最後の卒業生が出てから、同29年3月東邦医大の卒業生が出るまで3年間の空白があったこと、昭和30年代の前半から大森病院のストライキ、学内紛争、学園紛争など学内外が騒然とした中で、学制改革、男女共学、理念の相違などから、必然的に誕生したのが医学部同窓会で、東邦大学の歴史の中での一齣であり、それなりの意義は存在しました。昭和38年5月第1回医学部同窓会総会開催しています。  以後20年間、鶴風会と医学部同窓会が並立、この間昭和50年代に入り、医学部同窓会の海老根東雄(昭和38年卒)会長は、鶴風会との合併を、研修会、卒業生講演会、名簿の発行などを合同でやりながら、機を熟すのを待っていました。昭和39年9月創立者の額田 晋先生ご逝去。同年大橋病院が開院しました。  昭和40年10月、大森地区2期工事募金に協力、1号館8階に大森東邦会館が設置されました。同年医・薬・理3学部同窓会連絡会発足。昭和47年7月創立者額田 豊先生ご逝去。昭和48年から56年にかけて台湾、韓国、中国訪問それぞれ現地の医・薬・理鶴風会員と懇談しました。昭和58年7月社団法人鶴風会創立20年記念式典開催。同年柳瀬路子(昭和12年卒)より母校に1億3千万円が寄附され、柳瀬 武奨学金を設立しました。  この間昭和42年と45年に東邦大学寄附行為が大幅に改訂され、卒業生に母校の運営の場に登用の道が開かれ、卒業生が評議員、理事に選出されるようになりました。昭和51年4月医学部長に大岡良子教授(昭和15年卒)が就任、その後現職の黒田 優(昭和55年卒)まで卒業生で引き継がれています。同54年大森病院長に白井達男 (昭和31年卒) 教授が初の卒業生として就任しました。  昭和50年代に入り、海老根東雄(昭和38年卒)医学部同窓会長は合同を旗印に、一緒にやれる事は一緒にと、鶴風会との合併を目指し、研修会、講演会、名簿発行、同窓会ニュースなどを合同で実施しながら、合併検討委員会で討議を重ね、昭和54年舳松 洋(昭和32年卒)が医学部同窓会長に就任、合併問題は検討委員会で引き続き討論を重ねました。双方の理念の相違など、議論百出しましましたが、やがて鶴風会柴田洋子(昭和23年卒)、野口登志子(昭和16年卒)、尾中妙子(昭和26年卒)理事長らと理念の一致に至り、新同窓会「東邦会」設立で纏まり、文部省の認可を得て、昭和62年5月第1回社団法人東邦大学医学部東邦会総会を開催、会長に舳松 洋(昭和32年卒)が選出され、ここに新たな同窓会時代を迎えました。  その後は、古き時代の良き伝統を引き継ぎながら、若き世代との融和を図り今日の東邦会の発展をみました。  東邦会時代  昭和60年6月母校創立60周年記念募金で、学術振興基金設置。平成3年9月佐倉病院開院。同年3年月、初の卒業生理事長誕生、柴田洋子(昭和23年卒)が就任しました、その後野口鉄也(昭和37年卒)、伊藤元博(昭和41年卒)、現職の炭山嘉伸(昭和45年卒)理事長へと卒業生で受け継がれています。同12年学長に青木継稔(昭和40年卒)、同16年常務理事に加藤済仁(昭和45年卒)がそれぞれ卒業生初代就任者となりました。平成15年には、理事長、学長、医学部長、3付属病院長全てに卒業生が就任した時期がありました。そして同時に卒業生教授も多数誕生、平成19年には、医学部全教授88名中45名、内主任教授31でした。学外でも現在、国立の九州大学内科の林 純教授(昭和50年卒)、米国コロンビア大学神経内科の三本 博教授(昭和43年卒)が活躍しています。また平成21年東邦大学評議員総数57名中、医学部卒業生13名、理事16名中7名でそれぞれ母校の発展に努力しています。何処の私学でも当初は創立者の時代、次に他学出身者の時代を経て卒業生の時代へと移行します。その意味において東邦大学もその時代の流れに沿ったものと思われます。  平成7年6月母校創立70周年には創立者の額田豊、晋両先生の胸像を寄贈。平成19年大森病院3号館建設募金では目標額8億円をほぼ達成しました。同21年5月木村 丹(昭和52年卒)岡山県支部長らの発案で岡山県の創立者の生家の近くの額田家墓地に顕彰碑建立致しました。  私学は母校と卒業生の関係が密接でなれればならないといわれ、その意味で特に戦後の復興期には、母校の存続を賭け、母校、付属病院再建に多くの卒業生が物心両面の多大の支援をしました。その後も母校の創立記念事業などで教学環境の整備、付属病院建設、奨学金の設置などで浄財を寄贈、母校の発展に寄与して参りました。車の両輪のように機能してきました。以上同窓会の設立80周年祝賀会を開催するにあたり、80年の歴史の一端を振り返り、創立者の額田豊、晋両先生が残された東邦大学という大きな遺産を守り、育てて行くのは卒業生であるという決意を新たに致し、母校に感謝し、愛校心を高めて行きたいと存じます。同時にわれわれ卒業生をご指導戴いた多くの他学ご出身の恩師、師匠に深甚の感謝の意を表したいと存じます。  新同窓会東邦会発足に至る経緯の詳細は昭和50年代の医学部同窓会ニュース23、26、27、28、87号に掲載、また東邦会ホームページも参考にして下さい。
●私立医科大学同窓会連絡会  昨年第42回東部会は5月15日(土)自治医大医学部同窓会・白亜会の当番で宇都宮グランドホテルにて開催、「我が国の医学教育の現況と問題点」と題して日本医学会会長・自治医科大学学長高久史麻先生の講演懇親会で出席各同窓会からの報告がありました。東邦会舳松 洋会長より同窓会80周年記念祝賀会への案内発言があり、中島麒一郎総務理事、星 北斗総務理事が出席しました。  第21回全国会は11月27日(土)、東京医大の当番で新宿の「ハイアットリージェンシー東京」で開催、「住み慣れた町で安心して生活するために〜医療連携から〜」と題して東京医大理事、同窓会常任幹事野中 博先生の講演、懇親会で各大学の近況報告がありました。東邦会から舳松 洋会長、荏原光男副会長、海老根東雄常務理事、中島麒一郎総務理事、星 北斗総務理事が出席しました。  全国の私立医科大学卒業生は、引き続き活気に満ちた同窓会活動を展開していますが、特に新設といわれた私立医大同窓会も設立30周年を経て存在感のある組織として発展しています。  昭和61年東京医大の故永井先生のご発案で、都内の旧設の9校で始め、全国的な組織となりました。20数年を経て、当初から係わりの方も少なくなりましたが、東京医大の中野 徹会長、慶応義塾三四会の吉野肇一副会長、昭和大の吉田文英会長、順天大の森近 浩会長と東邦会の舳松 洋会長5名になりました。私立医科大学の同窓会の各位も、それぞれの母校の発展にご尽力頂くと同時に、現状の厳しい教育環境、医療情勢にかんがみ、この私立医科大学同窓会連絡会が結束して対処出来るようにしたいと考えます。
●私立医大同窓会の創立記念式典  平成20年11月、日本大学医学部同窓会の設立80周年記念会、一昨年3月、東海大学医学部星医会設立30周年記念会に引続き、昨年9月19日愛知医科大学同窓会、愛橘会設立30周年記念にお招きを戴きました。  その記念事業はキャッチフレーズとして「列島を吹き抜ける同窓の風、30年の想いを乗せて」とあり、記念品の配布、記念誌の作成、ゴルフ大会、寄附金募集。午前中は愛知医大で公開講座諏訪中央病院無鎌田 実先生の「医の原点」講演。午後は名古屋東急ホテルで聖路加国際病院の日野原重明先生の記念講演と祝賀会、祝賀会は大学関係の来賓、全国の私立医科大学同窓会の役員および同窓生多数が参加、東邦会の80周年を上廻る出席者があり盛大な催しでした。  加藤真司同窓会長は、設立30年を経て全国に支部組織が作られ、同窓の輪を広げ組織の充実を図り母校を支えて行く大きな力になると信じます。  昭和53年に第1回の卒業生が巣立ち翌年同窓会が設立されてから、現在約3千名の同窓生となり、今日の発展をみました。この先さらなる飛躍を目指すため30周年記念事業を立ち上げました。また在学生の方々に先輩達の活躍を知ることにより、同窓会の存在意識を持って頂くこと。この30周年記念事業が同窓生の連帯意識の強化と母校愛を深化させる有意義なものとなることを信じますと述べました。卒業生3、304名、卒業生教授6名内基礎1名を輩出しています。  愛知医科大学は、まだ30年という若さですが、東邦を上回る卒業生の出席者あり、同窓会に対する熱意の深さを感じました。
●支部会・クラス会活動  東邦会は都道府県単位の横の組織の支部会、卒業年度単位の縦の組織のクラス会組織が活動の基本にあり、東邦会評議員はその各組織単位から選出されています。活動の基本であります。  昨年は福島県、山梨県、千葉県、埼玉県、東京の城東、城北、城西、城南、横浜、湘南、東海三県、広島県、鹿児島県の各支部からお招きを頂きありがとうございました。  山梨県支部会鹿児島県支部会は薬学部、理学部鶴風会と合同で開催されましたが、東邦会は法人であり、支部会そのものは少人数であれ個別に開催して、講演会、懇親会は合同で差し支えありません、この辺を念頭に開催して下さい。また近隣地域の数支部合同の支部会も考慮して下さい。  支部会、クラス会は東邦会ニュースに掲載されている他にも多く開催されています、支部会、クラス会開催後は支部会、クラス会だよりとして、東邦会ニュースに掲載しますので、支部会の模様などと、集合写真をお送り下さい。  尚、東邦会ニュースに東邦会の年間の行事の日程を掲載いたしますので、支部会開催日と重ならないようにして頂くとお招き頂いた時に出席し易いと思います。また各支部間でも開催日が重複しないように、東邦会本部にお尋ね下さい。
平成23年は
3月27日(日)東邦会予算総会同日評議員会。
5月15日(日)東邦会決算総会同日評議員会。
7月16日(土)全国支部長会議。
10月15日(土)・16日(日)東邦会研修会、福島県郡山市。
以上を参考ににして支部会を設定して下さい。東邦大学の執行部も東邦会の年間行事に参加しますので。
●ホームページを利用して下さい  アドレスはwww.toho-kai.jpです。内容は「TOP」「東邦会の歴史」「活動案内」「東邦会ニュース」「会員のページ」「東邦大学」「東邦会事務局」などがあります。 「東邦会掲示板」で会員相互の連絡の場を開設しました。  アクセスは、まずアドレスにアクセスして「会員のページ」クリック、ユーザー名 toho-kai、パスワード 37610338をいれ、OKを押す。掲示板の画面ではおなまえ、Eメール、題名、メッセージを入れる、次いで送信するをクリックする。ただし中傷、誹謗の文は削除いたします。
●東邦大学広報ならびにTOHO UNIVERSITY NOW の東邦会会員への無償配布について  かねてより、母校の「今」を知る広報誌TOHO UNIVERSITY NOWを卒業生のみなさんに定期購読の案内がありましたが、この度青木学長より無償配布(年間1000円)の申し出がありました。ただし郵送料は東邦会持ちということでした。昨年東邦会理事会で、東邦会ニュースに同封することで配布することとしましたが、発行回数が異なることなどが問題点ですが、まとめて発送するなど考慮中です。本年1月の東邦会ニュースに同封されるかも知れません。
●東邦大学寄附金募集の常設窓口設置について  昨年10月従来周年事業における寄附金募集については、その都度臨時の募金窓口は設定していたが、恒常的な募金活動の必要性、あるいは、各同窓会との連携強化を考慮して、他の私立大学等の先進的事例を参考に、下記のとおり、法人本部内に募金の常設窓口を新設するとして、募金センターを新設、選任事務員の配置、各同窓会に対して寄附金募集の窓口設置を呼びかけ法人窓口と連携して募金活動を推進、母校90周年募金事業も本窓口が中心となるとしています。  従来は母校の事業募金に対しては、各同窓会が窓口となり募集しました。近くは大森病院新3号館建設に対しての募金では、東邦会に8億円が目標額とされ、東邦会が独自に募金活動をして、ほぼ目標額を達成しました。ただし東邦会は免税措置が出来ないので入金は東邦大学に直接納入しました。本来ならば東邦会が財力を有していて、母校から募金の要求に即応じられるのが理想的で、東邦会が常時寄附金募集をして財力豊かな組織であるべきと考えます。しかし今回のような大学法人の募金窓口となると、東邦会は素通りして、東邦会の財力とはならなく、常時貧乏所帯となりかねません。東邦会にも財力は必要で、例えば今回の医学部グランド、東邦会館改装工事に支出する資金が必要です。他の私立医大同窓会でも各自資力を有し、そして母校を支援しています。
●医学部グランドの新設  医学部グランドの新設については過去に何回か触れました。私が学生時代は、今大森病院1号館が建っているところが女子医専時代からの運動場で、野球、テニスが出来、ラグビーの練習も可能で、運動会に使用、卒業式の記念撮影に使用しました。  昭和39年大森病院1号館建設にともない、現大学1号館体育館などがある焼け跡空き地を利用、平成48年大学1号館など完成、大森地区での医学部6年一貫教育認可に医学部グランドが文部省から求められ、平成50年3月大学と蒲田駅の中間に夜間照明、シャワー、脱衣室付きのグランドが完成しラグビーの試合も可能でした。同時にテニスコート4面も完成。平成56年11月、蒲田1丁目のグランド地にマンション建設のため地主より立ち退きを要求され、森が崎方面の大森5丁目の工場跡地に移転、ここもラグビー試合可能で夜間照明、シャワー、脱衣室付きでした。このグランドも大学の財政難から返還して、ここに医学部グランドは消滅しました。スポーツに理解の無い仕業でした。  その後は各運動部が独自で今日まで、習志野の薬学・理学部のグランドを借用したり、東京ガスのグランドを利用させて頂いています。昨年ラグビー部のOB会長でもある舳松より、東邦大学八千代グランドを拡張整備してラクビーの公式試合可能な医学部グランドとして整備することを提案、薬学部と八千代市の許可を得て事業計画が立案されました。整備費は約1億円が見積もられ、東邦会の費用負担が求められています。医・歯・薬リーグ主管校に東邦大学がなる平成24年完成を目指したいと思います。
●大森東邦会館改修工事の件 大森東邦会館の貸与に至る経緯  戦前の昭和9年に鶴渡公園の近くに木造2階建て、事務室・会議室と居室30室の鶴風会館が建設され、母校の研究室、病院に勤務する卒業生が居住していましたが、昭和19年建物強制疎開で取り壊されました。戦後は大槻教授宅、米山内科医局内、衛生学教室内などを転々と仮住しました。昭和30年母校創立30周年に卒業生が700万円で13号病棟を建設寄贈し、病棟内の一部を鶴風会、学部同窓会の事務室、会議室、宿泊室に使用していました。その後一時期病院ストで閉鎖しました。  昭和48年11月大森地区第2期工事の大森病院2号館、大学1号館などの建設にともない、13病棟が解体され、病棟内にあった鶴風会ならびに医学部同窓会の事務室などの代替え措置として、第二期工事にも卒業生が多額の寄附金を寄贈した関係から、新設の大学1号館8階南半分を大森東邦会館として同窓会が無償で貸与を受け現在に至っている経緯があります。その貸借契約書および会館管理運営委員会規約の原文のままを左記に示します。
大森「東邦会館」使用貸借規約書  学校法人東邦大学(以下「甲」という。)は、東邦会館の建物並びに設備等を医学部鶴風会・医学部同窓会・薬学部鶴風会・理学部鶴風会(以下「乙」という。)と、次に掲げる条約に基づき「使用貸借」の締結をするのとする。 記
(使用貸借の要件)
第1条 甲は、乙が無償で使用あるいは収益をなした後、返還をすることを約して、この規約を締結するものとする。 (建物・設備の範囲及び維持管理)
第2条 甲は、次に掲げる不動産の表示の範囲内の建物及びその付属物(器具備品等を含む。)を、無償で乙に使用させるものとする。ただし、甲が臨時に使用する場合にあっては、乙に支障のない限り拒ばないものとする。
2 乙は、第1項前段に定める事項については、甲に借受け証を提出しなければならない。
(1) 不動産の表示 所在地 東京都大田区大森西5丁目21番16号 建物の構造及び床面積 鉄筋コンクリート建 大学1号館8階 延面積 298・4平方米(別紙図面のとおり。)
第3条 乙は、貸付を受けた建物及びその付属物(器具備品等含む。)については、善良なる維持管理をしなければならない。
2 主として医・薬・理同窓会員、教職員、その他法人関係等の会議、宿泊等に使用するものとする。 (権利の譲渡・転貸等の禁止)
第4条 乙は、いかなる理由に問わず、物件に対する権利の譲渡・転貸その他第三者に使用収益をさせる行為をしてはならない。 (電気・水道料の負担)
第5錠 建物に付属する電気・水道料は、甲の負担とする。 (貸付物件のの修理改造)
第6条 建物の維持管理上 必要な修理に要する経費(風水害による破損等を含む。)で、大規模なものについては甲の負担とし、軽微なものについては乙の負担とする。
2 乙むの責に帰すべき理由により、損傷その他の事故が起きた場合は、遅滞なく甲に通知するとともに、甲の指示どうり修復するものとする。この場合において。修理並びに管理に要した費用は一切乙において負担し、甲に対し何ら求償しないものとする。
第7条 乙は、建物の改造、造作物付加等の必要が生じたときは、予め甲に申出て、甲の書面による承認をうけなければならない。 (損害保険の負担)
第8条 甲の負担とする。
第9条 乙は、会館の運営を円滑に推進するために、運営委員会(以下「委員会」という。)を設けなければならない。
2 委員会の構成は、法人2名、医学部卒業生4名、薬学部卒業生1名、理学部卒業生1名、計8名をもって構成するものとする。
3 前項に定める委員会の規定については、別にさだめるところによる。
(契約期間及び解除)
第10条 本契約よる期間は2年とし、本契約期間満了の3ヶ月前までに甲・乙何れよりも契約終了の意志表示なきときは、この契約は同一条件において、自動的に更新するものとする。ただし乙に契約違反行為または不都合な行為かあった場合においては、期間中といえども、甲は本契約を解除することができる。この場合において、甲は2ヶ月前に本契約解除の通告をするものとし、通告を受けた乙は、無条件で解約に応じなければならない。 (返還要求の場合の措置)
第11条 甲は、甲の都合により、乙に対して建物(設備等を含む。)の明渡しを要求する場合には、その代替を提供するものとし、その面積・場所等については、甲・乙協議のうえ決定するものとする。 (有益費等の放棄)
第12条 乙は、使用期間満了または本契約解除によって、借受物件の明渡しをする場合には、乙が支出した必要経費および有益費が現存している場合であっても、甲に対して何ら求償することができない。 (相互協議)
第13条 本契約事項について、疑義を生じた場合は、甲・乙協議うえ決定するものとする。
第14条 この契約条項を尊守するため、その証として本書2通を作成し、甲・乙署名押印のうえ、それぞれ各一通所持するものとする。
昭和48年11月20日
甲 学校法人東邦大学理事長 桑原章吾 印
乙 社団法人東邦大学鶴風会理事長 柴田洋子 印  東邦大学医学部同窓会会長 海老根東雄 印  東邦大学薬学部鶴風会理事長 大本太一 印  東邦大学理学部鶴風会理事長 猿橋勝子 印 以上
「使用貸借」器具備品一覧表 省略
 大森東邦会館管理運営委員会規定
第1章 総則  
第1条 本会は大森東邦会館管理運営委員会(以下「委員会」という)と称し、大森東邦会館(以下「会館」という)の管理、運営をする。
第2章 委員  
第2条 委員は大森東邦会館貸借契約書第9条により、法人2名、医学部卒業生4名、薬学部卒業生1名、理学部卒業生1名を選出する。  
第3条 委員の互選により、委員長1名、副委員長2名を選出する。  
第4条 委員長は委員会を代表する。副委員長は委員長を補佐し、委員長事故あるときは、その職務を代行する。  
第5条 会計監査は運営委員以外の卒業生より2名選出する。  
第6条 委員および会計監査の任期は2年とし、再任を妨げない。
第3章 会議  
第7条 委員は委員会を組織し、会館の管理および施設の運用に関する基本方針を決定する。  
第8条 委員会は、委員長が必要に応じて招集し、委員長が議長となる。  
第9条 会議は委員の過半数の出席がなければ成立しない。  
第10条 議事は出席委員の過半数以上をもって決する。
第4章 会計  
第11条 会計担当委員は委員の互選による。  
第12条会計年度は毎年4月1日に始まり、翌年3月31日に終る。
第5章 附則  
第13条 会館の使用規定は別にこれを定める。  
第14条 本規定は、委員会より各同窓会役員会に諮り承認を受けなければならない。  
第15条 本規定は昭和49年2月1日より施行する。 以上  
大森東邦会館管理運営委員  
委 員 長  舳松  洋 (医)  
副委員長  五島瑳智子 (医)  
副委員長  鷹觜 照男 (薬)  
総  務  庄司 宗介 (医)  
会  計  尾中 妙子 (医)   相川 嘉正 (理)  
      大関 三郎 (法人)  青木 茂雄 (法人)
 東邦会館使用心得
1本会館のお申込みは、東邦大学卒業生が責任者であることを要します。
2本会館を使用する場合には、使用室、目的、時間、人員等を記入し、責任者が捺印の上、お申込み下さい。
3本会館は、政治目的の会合には使用できません。
4本会館の使用時間は、午前9時より午後8時30分までに限ります。
5本会館を使用する場合は規定により、下記の使用料を申受けます。
6本会館の施設ね器物を損傷した場合は、申込み責任者において弁償願います。
7本会館使用後は、整頓して事務所にご連絡願います。
記  使用場所、時間、金額の詳細は省略。  東邦会館管理運営委員会
 東邦会館宿泊心得 省略
 以上大森東邦会館使用貸借契約書ならびに大森東邦会館管理運営委員の契約者、委員の中には物故者もあり、一度契約書の更新、委員の再任を行い、改選された委員会を開催して、習志野と大森の東邦会館を分離して機能させるかを論議決定後、再度契約者の変更ならびに委員の変更を行い、その後大森東邦会館の改造をすべきと思います。それでなければ契約違反、管理運営委員会を無視することになり、違法行為になります。

●東邦会研修会  昨年の第25回東邦会研修会は、静岡県支部の当番で10月9・10日浜松市のアクトシテイー浜松コングレスセンター、31会議室」で開催されました。鳥居重夫(昭和51年卒)支部長らが大変ご苦労をされ盛会で有難うございました。  講演は、浜松フォトニクス株式会社中央研究所、研究主任、山下貴司工学博士の「フォトニクス技術の医学への応用」 ならびに広島大学教育学部名誉教授、渡部和彦博士の「姿勢研究とスキージャンプ金メダルへの支援」の2題。懇親会はチェルシーの間でのアトラクションは室内管弦楽、エレクトーン演奏、校歌斉唱、来賓挨拶炭山嘉伸(昭和45年卒)理事長、青木継稔(昭和40年卒)学長、黒田 優(昭和55年卒)、杉本元信(昭和47年卒)大森病院長、東邦会からは荏原光夫(昭和34年卒)副会長、海老根東雄(昭和38年卒)専務理事、荒井一歩(昭和54年卒)理事、安島春洋(昭和51年卒)理事、吉原克則(昭和53年卒)理事、山出 智監事らが出席。次年度開催福島県支部の紹介あり盛会裏に閉会しました。翌日の観光は秋の奥浜名湖と湖北五山観光と秋の天竜、二俣観光と天竜下り。一方ゴルフコンペは名門葛城ゴルフ倶楽部山名コーで楽しまれました。  今年は10月15日(土)、16(日)福島県支部の当番で郡山市にて開催されます、多数のみなさまのご参加を願います。
●全学同窓会連絡会  従来の医学部、薬学部、理学部の3学部同窓会連絡会に新たに看護同窓会、東邦中・高同窓会、駒場邦友会を加えた全学同窓会連絡会は昨年3月4日、7月8日、11月18日に開催、東邦大学寄附行為の改訂および今後の母校に対する協力態勢について検討しました。次回は3月9日(木)東邦会の当番で学士会館にて開催予定です。
● 公益法人制度改革  平成20年から25年までの間に公益法人の制度替えが行われます。  新しい公益法人制度に向けての選択肢は1公益社団・財団法人移行、2一般社団・財団法人移行、3任意団体になる、4解散するなどであります。東邦会は鶴風会と医学部同窓会との合同に際して鶴風会の社団法人格を維持して社団法人東邦会として発足しました。従ってこの法人格を今後も維持して行きたいと考えます。  新しい公益無法人制度で東邦会は、公益法人でなく、一般法人として生き残る予定で、財政面では、事業費支出の増額、内部保留の減額、事業内容を卒業生対象のみで無く、学外、一般市民に公開する、東邦会の事業活動をホームページで公開するなど昨年より理事会で財政面、事業目的の改革、定款改正に向けての論議を重ねています。今後評議員会、総会で承認をを得て文科省の認可を申請、認可を得て平成24年3月までに新法人に移行する予定です。

●母校と卒業生  寄附行為の改訂と母校への参画  東邦会の寄附行為(定款)の改訂と卒業生の参画の経緯については再々述べてきましたがその概略を再掲し、母校とと卒業生の関わりについてご理解を頂きたいと思います。  東邦大学は、昭和初頭の帝国女子医専創立期から、戦中、戦後の混乱期、復興期から新制の東邦大学となり86年を迎えます。この間昭和30年前半から40年代初頭にかけて労働争議、学内紛による混乱、創立者の死去などあり、大正13年帝国女子医専設立以来の財団法人としての寄附行為は昭和42年9月学校法人の寄附行為として全面的に改訂されました。しかしその後のインターン闘争、学園紛争の中で、医学部改革運動が繰り広げられ、「教員会議」「医学部協議会」が結成されました。習志野地区の団交などもあり学長、理事長辞任、このような再度の貴重な体験を経て、学内諸問題に対処するため、昭和44年理事会の発議により、「大学改革委員会」が朝比奈学長代行を中心に発足、寄附行為の全面的改訂に当たり、昭和45年7月16日改訂施行されました。この「寄附行為」により東邦大学の機構、運営はようやく近代化、民主化、現行寄附行為となりました。この寄附行為は、私立学校法にのっとり、大学運営の基本を教職員、卒業生、学識経験者の三者構成とし、評議員会の構成層の拡大によるチェック機構を拡大したことに大きな意義がありました。特に評議員52名中に医学部、薬学部、理学部および看護学校、付属中高卒業生卒業生を23名とし、半数近くにしたことは、卒業生に母校の運営の重責を担わせ、卒業生を高く評価すると同時にその責任の重さを課しました。また、東邦大学の教職員誰しもが評議員として、運営の一端を担い、評議員の誰しもが理事に、理事長に成り得るという、極めて民主的な寄附行為となりました。  平成元年9月寄附行為等改訂委員会についての案が大学側から提示されました。医・薬・理同窓会は委員会の構成人員審議事項などの意見書を提出するなどの過程を経て、平成2年5月25日寄附行為等検討委員会開催、委員長は舳松 洋評議員と決定、以後平成2年6月より2年半にわたり討議、検討がなされ、評議員2名増と一部字句の修正に留まりましたが、委員各人が、それぞれの立場から将来ビジョンについて意見を述べたことは有益でした。平成6年5月17日より施行されました。  野口理事長時代に3学部同窓会は、寄附行為第5条6項の卒業生評議員会選出理事3名を1名増4名とするよう寄附行為の改訂を要求しましたが実現しませんでした。その要求理由は、卒業生評議員会は寄附行為第20条の11、12、13、14にある医学部、薬学部、理学部、看護学科・東邦中高・駒場中高の6つの卒業生グループがあるにも関わらず、3名の理事しか認められていないということです。従って3年毎の東邦大学理事改選期には、最終的な理事長選出に関連して、6つのグループの内何処かが理事をお休みしなければならず、凝りが残ります。  伊藤理事長時代に、再度医・薬・理3学部同窓会より理事1名増の決議書を提出しました。  平成20年9月の東邦大学評議員会に、「東邦大学寄附行為を検討する委員会の設置について」て提案があり委員会のメンバーは理事長一任とあり、委員に評議員会の進藤洋一(理 昭和41年卒)議長、荏原光夫(昭和34年卒)副議長、磯野信行常務理事、山沢一郎局長および学外の顧問弁護士の5名が指名されました。  一昨年5月29日の評議員会で寄附行為検討委員会での検討結果の報告がありました。進藤洋一(理 昭和41年卒)議長より1月29日以後毎月委員会開催検討した、本日検討事項を伊藤元博理事長に答申したと報告があり、結局理事の増員はなしでした。  平成21年7月の評議員、理事選出は現行の寄附行為で行われ、その欠点を露にして理学部卒業生理事がお休みになりました。。  重ねて申し上げますが、評議員から理事を選ぶ段階で、卒業生評議員が医学部、薬学部、理学部および中高校・看護学科の6つの母体から3名の理事しか選ばれないところが矛盾点で、理事長候補を支持するか否かで、ある母体の理事がお休みしなければならないことで、母校を支える卒業生母体間に一体感が失われ、不協和音が生じる原因となります。  平成22年11月26日の東邦大学理事会・評議員会に寄附行為および同施行細則の一部改正が提案されました。今回も卒業生理事の1名増員は見送られました。9頁に改正全文を示します。
●卒業生のかかわり  再々度述べますが、昭和45年の寄附行為改訂から40年近く、平成6年の改訂からも16年を経ました。特に昭和45年の改訂の原動力となった、当事者は学内には皆無となり、語る者も少なくなりました。重ねて述べますが、過去の病院スト、学園紛争などの収拾の課程で母校の寄附行為の改訂、諸規則の制定がなされました。過去の改革は学内の教職員、卒業生などが関与して改革の力となり、医学部協議会、教員会議の設立などがありました。更に教職員、卒業生が大幅に参加出来る寄附行為の改訂があり、評議員の中から理事が選ばれ、その理事の中から理事長が選出されるようになりました。同時に教職員、医学部長、病院長などの任用、選出規定も見直され、卒業生教授誕生の道が開かれました。また管理運営の場にも多くの卒業生が参画しました。  学内には多くの卒業生が在籍しています。従ってその卒業生一人一人が愛校心を抱き母校に帰属意識を持ち母校の発展に寄与すべきと考えます。今日まで多くの卒業生の愛校心と犠牲の上に母校が発展したことを再々述べてきました。今一度母校と卒業生が係わった80年の歴史を振り返り、母校の創世記から戦中、戦後の復興期、更に学内紛争、学園紛争など、多くの卒業生がひたすら母校の将来の発展を願い希望を持って母校の近代化、民主化に努力した結果であることを決して忘れてはなりません。同時に今母校が直面している財政好転を目指すためにも更なる尽力貢献が必要です。母校あっての卒業生、卒業生あっての母校であり、母校と卒業生が一心一体となって対処すべきと考えます。  医学部の機構改革の大略は医学科長、病院長の選挙制度の改革、教員数の削減、教員任用、新研修医、講座、医局制度に係わる問題ですが、その結果としての大きな歪みは、教員の任用、数の削減が、付属病院の収益に影響を与えました。  一方退職または物故、教授昇任の凍結などにより卒業生教授は過半数を割りましたが、現在少し増加傾向にあります。しかし卒業生が教授公募に負けると次第に卒業生教授は減少する傾向にあります。他学出身者に決っして負けないよう、劣っているといわれないようにしなければなりませんが、講座、診療科の定員についても柔軟性を持たせて卒業生に希望を持たせる施策も必要です。一生懸命母校のために頑張って来た中堅どころの卒業生の意欲を阻害し、愛校心を失わせかねません。多くの逸材を失う事になりはしないかと心配します。  同時に学内ばかりでなく、他大学または国公立病院で教授または重要な地位に公募、または招聘される優秀な人材の輩出も母校の知名度を高める重要なことです。どしどし学外で羽ばたくことも大事なことです。母校の知名度向上にもなります。  最近、三本 博(昭和43年卒)コロンビア大学教授、林 純(昭和50年卒)九州大学教授が東邦会からの推薦で額田奨学を受給しました。このように優れた卒業生が海外でも国内でも活躍していることは母校にとってもわれわれ同窓生にとって誇りにしたいと思います。  再度創立者の額田 晋先生が「卒業生はあたかも母校が派遣した大使のような者だ、その一挙一動は母校に影響を与える。卒業生は母校の宝だ」と云われたことを想い起こします。 額田 晋先生の健学の精神の一節を再掲しご高恩に報いたいと存じます。  自然・生命・人間  人間は人間だけで生きているのではない、われわれのまわりには山あり川あり草ありあらゆるものがある、その中に人間として生をうけたのである。  人間はもともと大自然の一部分として自然界のうちに生き、大自然のうちに生命を託しているのである。
●東邦会に望まれること  本年母校は創立85年、同窓会も創立80年、東邦会設立24年になります。  先にも述べましたが、同窓会は創成期の「鶴風会」時代、「医学部同窓会」との並立時代、「東邦会」時代と東邦大学の歴史とともに歩んで来ました。  再度申し上げますが、戦後の復興期から病院スト、学内紛争、学園紛争を経て、母校の民主化、近代化に向けて卒業生が物心両面のかかわりを持ち、昭和45年寄附行為の改正を期に大幅に卒業生が運営の場に参加可能となりました。まさに卒業生の支援無くしては今日の母校の繁栄はあり得なかったことを再度強く認識し、母校の運営の場に深く関与、支援体制を強固にしたいと考えます。  昭和50年代に入り卒業生教授が誕生し始め、医学部長、大森病院長に卒業生が選出され、卒業生の時代が到来しました。以後母校と卒業生が一体となって母校の発展に寄与し、今日の隆盛の礎となりました。現在も東邦大学の執行部に卒業生が参加していますが、医学部機構改革の影響もあり卒業生教授の昇任が減少傾向にありましたが、最近はそれらの軌道修正をする方向にあります。母校の運営、企画などの面で、学内外の卒業生の声を聞きながら卒業生の存在価値を理解していただきたいと考えます。卒業生の母校に対する思いは方法論的、行動的に差はあっても究極的には母校の発展を願ってのことと思われます。母校執行部と定期的に意見交換の場を持って行きます。  再度申し上げますが、東邦会役員改選と母校執行部の改選が連動して、問題点が多くありました。築き上げた卒業生時代を持続するため、卒業生は力を一つに、卒業生同志の無用の争いは避けなければなりません。  今母校に必要な、収益を上げ、財政を豊かにする、知名度を上げることは緊急の課題であります。われわれ卒業生も、母校あっての卒業生、卒業生あっての母校であり、卒業生は物心両面の限り無い支援をし、母校の発展に寄与しなければ、母校の将来は望めません。母校の将来を憂れうのは卒業生である事を再度忘れないようにしたいと思います。  最後に毎回同じことを申し上げることになりますが、東邦会の財政も決して豊かではありません。東邦会の活力の根源は豊かな資金、集人力と同窓会意識に溢れた活力ある実行力ある組織であること。そして母校を支える大きな力となることは繰返し述べてきました。現在会費の納入率は、卒後10年の完納を含めても、50%に達していません。会員数も多く納入率の高かった、女子医専時代の卒業生は、すでに全員会費免除となっています。大学になってからの卒業生も、昭和35年卒前は卒業50年を過ぎ、会費免除会員となっています。今後大学時代の卒業生も年々免除年代となります。会費免除世代の会員からの会費分としてのご寄附には厚く感謝申し上げますが、それに頼らず若き世代の会費納入率の増大を図らなければ、資金力豊かな活力ある東邦会は望めません。卒後10年経ったら、年額8千円の会費の納入をぜひお願いたします。  また総会、支部会、研修会などでの出席人数も十分とはいえません。旧鶴風会の卒業生に続き医学部初期の卒業生も卒後50年以上経過して次第に高齢化しつつある昨今、若い世代の同窓会意識の昂揚を望みます。同窓会80年の歴史を理解し、重みを踏まえ、再度東邦会設立当時の結束力ある東邦会を思い起こし、一体となって次世代に向けて母校を支える大きな存在感、決断力、行動力のある、ものが言える組織活動を進めて行くことが出来るよう、従来の価値観、意識の変革が求められている中で東邦会は新法人制度改革に向けて、新たな目的に向かって大きく行動しなければなりません。本年も会員各位の新法人東邦会の新たな発展に向けて変わらぬご理解、ご支援、ご協力、ご指導を頂きますようお願い申し上げます。